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2000年10月18日

エドワード1世(1239 - 1307):英王室屈指の名君

エドワード1世(1239 - 1307)

プランタジネット朝第5代イングランド王(在位1272年 - 1307年)。
ヘンリー3世の長男。ということは、あのジョン失地王の孫なのですが、
これがこれがおじいちゃまと違って、賢王の誉れ高い
イングランド史上屈指の名君。
おまけに190pはあるという長身の美丈夫。渾名は「長足王」。

意思強固にして、武勇に優れ、政策に妙をきわめ、
計略と搾取に秀でたエドワード1世。

時代も時代、その一生は隣国との争いに明け暮れる毎日。
2度の結婚生活ともに戦いのための政略結婚でしたが、
研根生活はどちらも妻を愛し非常に幸福なものだったといいます。
なんて理想のヒーロー。

ちなみに2度目の妃とは年の差43歳!!
エドワード1世60歳、マーガレット王妃17歳・・・というからびっくり。



若きは父を助け、国政の実権を掌握。父王が死去した時は第8回十字軍に
遠征中でイングランドを不在にしていたのですが、諸侯からの覚えも良く
国王に。1273年に帰国して、土地保有制度改革や教会裁判権の抑制などの諸政策を次々と打ち出し、保守派と改革派の融和を図って国内を安定させます。

そして次の、エドワードの最大の関心事は、
ヘンリー3世以来イングランドへの服従を拒み不穏な情勢にあったウェールズとスコットランドの平定でした。

まず1277年、ウェールズの支配者ルウェリン・アプ・グリフィズを打ち破り、

1290年にはスコットランドの王位継承権争いに介入、スコットランド王を臣従。

さらに1294年にはガスコーニュ地方をめぐってフランスとの戦争を開始。
以後10年間に渡ってフランスやその同盟国であったスコットランドとの抗争が続きます。

ちなみにフランスとの戦いの戦費調達のために召集した議会は、今日の議会制の基礎となるもので模範議会と呼ばれている。

1303年にフランスと講和するとスコットランドに再度遠征。
1307年、3度目のスコットランド遠征の途上に病死。



英国王室史上最も王に愛された王妃たち、
英国王室史上最も王を愛した王妃たち


エリナー・オブ・カスティル(1241 - 1290)
カステリヤ(スペイン)国王フェルナンド3世の娘。
カステリヤ&イングランド両国 にとってフランスを牽制するための政略結婚(1254)。
このときエドワードは15歳、エリナーは10歳!(といっても当時子供の政略結婚はよくあった話で、
実質の夫婦になるのはもっと後のはなし。エリナーは20歳で初めての子を生んでいます。)
政略結婚にもかかわらず、16人の子供を産むほど仲睦ましい夫妻。1270年の十字軍遠征をはじめ、戦いに明け暮れる夫に寄り添い、エリナーはたびたび遠征に同行します。夫がアサシンの毒塗りの剣で重傷を負った時は自ら毒を吸い出し献身的に看病しました。王妃としての彼女は慈悲深く貞節な女性として国民から深く敬愛されました。最後はスコットランドへの遠征の途中で病に倒れます(49歳)。エドワードはその死を深く嘆き、今に残るエリナークロスを各地に建立したことでも有名です。16人の子供のうち成人したのは6人だけ。男子は末っ子のエドワード2世のみ。

Daughter (1255)
Katherine(1261/63-1264)
Joan (1265)
John (1266-1271)
Henry (1268-1274)
Eleanor (1269-1298)
Daughter (1271)
Joan (1272-1307)
Alphonso (1273-1284)
Margaret (1275-1333)
Berengaria (1276-1278)
Daughter (1278)
Mary (1279-1332)
Son (1280/81)
Elizabeth (1282-1316)
Edward (1284-1327)



マーガレット・オブ・フランス(1282 - 1317)
フランス王フィリップ3世とマリア・ド・ブラバンの娘
1290年に愛する妻エリナーを失ったエドワードはその後もスコットランドやフランスとの戦いに没頭します。そしてスコットランドとの戦いに集中するためにフランスと休戦協定を結ぼうと考え出した政略結婚がフランス王の娘との年の差44歳婚(1299)。

しかし、しかし、この年齢差のあるまったく不釣り合いに見える二人、
なんとラブラブカップル。
手に入れた妻を「高価な真珠(何物にも代えられない貴重な人)」だと大切にしたとか。
実際この若い妻、大変できた女性で、王の怒りを諭し臣下にも慕われた
慈愛に満ちた心やさしい女性ということで、愛されるヒロイン度★★★。
3人の子供にも恵まれ、何と3人目の王女にはエドワードの最初の妃の名前、エリナーを
選んだといいます。なんと事実は小説よりも・・・ですね。

26歳でエドワードを亡くしたマーガレットですが、母国フランスへは帰らず
「王の死は私に全ての死をもたらした」と言って
イングランドに残り10年後に亡くなりました。

成人した息子たち、長男トマスは現在も続くイングランド筆頭公爵ノーフォーク公爵家の先祖の1人、次男エドマンドはケント伯爵となり、その娘ジョアンはエドワード黒太子の妃にという、まさにハーレクイン顔負けのお話です。


さて、最後の最後に

これだけ申し分のない名君エドワード1世の痛恨の一敗、
これがあまりにひどい、一敗というにはひどすぎるのが

ダメ息子の存在 

これがのちに史上一番の愚王といわれるエドワード2世なんです。

エドワードとエリナー妃の実の息子とは思えない・・・
歴史は非情なり。

もっと詳しくはエドワード2世





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