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2006年03月10日

キャサリン・オブ・ヴァロワ(ヘンリー5世妃 1401-1437)

イングランド王ヘンリー5世の王妃、ヘンリー6世の母。
フランス王シャルル6世と王妃イザボー・ド・バヴィエールの末娘。弟はフランス王シャルル7世、姉はイングランド王リチャード2世の王妃イザベラ・オブ・ヴァロワ。

イングランド王妃というけれど、彼女自身はれっきとしたフランス人。
19歳でイングランド王ヘンリー5世と政略結婚させられるも、2年後には旦那に死なれ、敵国イングランドの僧院で幽閉のまま37歳の若さで亡くなった美貌の王妃…う〜ん、まさに悲劇の王妃です。

父親のフランス王シャルル6世は精神異常で有名。この悪しき血が息子のヘンリー6世に遺伝し、薔薇戦争の元凶ともなったといわれます。母親はフランス歴代王妃の中でも美貌の悪妻No.1と名高いイザボー王妃。

キャサリンの旦那となったヘンリー5世というのは、中世イングランド王の中でも最高潮と言われ、百年戦争で劣勢にあったイングランドを立て直し、次々と領土を拡大。結局、現在のフランスの半分に及ぶ領域を押さえた精力的な王。

1415年のアジャンクールの戦いでイングランドが大勝すると、その代償としてヘンリー5世はフランス王位継承権とキャサリンとの結婚を求めてきます。1420年6月、フランス側は敗戦の屈辱的条件を呑み、トロワで結婚。ヘンリー33歳、キャサリン19歳。流れるように繊細なブロンド、澄んだ青い瞳・・・母親譲りの美貌の新妃を「キャサリン・ザ・フェア(麗人キャサリン)」とイングランド国民は呼び、称賛したといいます。翌年キャサリン妃はウィンザー城でヘンリー(のちのヘンリー6世)を出産。政略結婚とはいえ、幸せな結婚生活だったようです。

しかし1422年8月、ヘンリー5世が若くして赤痢で急死。ヘンリー6世はなんと9ヶ月でイングランド王に即位。先王の叔父ウィンチェスター司教やグロスター公(王の叔父)などが王位をめぐって、し烈な闘争を繰り広げる中、議会はキャサリンが許可なく再婚することを禁じ、軟禁状態に置いてしまいます。こうしてキャサリンは政治の実権は握らずに、半ば囚われの身としてベイナーズ城へ移ります。

敵国に独りぼっち・・そんな中、ひそかに自分付きの秘書官オーウェン・テューダーと通じるようになり、オーウェンとの間に、トーマス、エドマンド、ジャスパー、タシンダ、マーガレットの5子を産みます。長男エドマンドの息子ヘンリーが、のちのヘンリー7世です。

しかしやがて秘密は暴露されてしまい、怒った議会は2人を引き離し、キャサリンを僧院に幽閉。1437年1月3日、キャサリンは38歳の短い生涯を敵国で終えます。

キャサリンの生涯も十分悲劇ですが・・・こちらも悲劇のオーウェン・チューダー。結局は彼の孫が薔薇戦争を勝ち抜き、後のチューダー朝の始祖となるわけですが、オーウェン自身は悲劇、悲劇の連続。

元はウェールズ王家に仕えた宰相の家柄であったが、反乱に連座した罪で捕らえられ、イングランド王に仕える身。密かに結婚したキャサリンとは身分違いもはなはだしい。ちなみにチューダーという苗字も、後の世になってつけられたもの。薔薇戦争ではランカスター派の一員としてウェールズの軍勢を率いたが、1461年にモーティマーズ・クロスの戦いでマーチ伯エドワード(後のエドワード4世)に敗れて捕らえられ、1461年に処刑さてしまうのです。「かつては王妃の膝にあったこの頭が、今は死刑執行人の籠の中か・・。」と呟いた、と伝えられています。



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