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2000年10月18日

王妃フィリッパ・オブ・エノー(1314-1369)

フィリッパ・オブ・エノー(1314-1369)
エドワード3世妃(賢夫人の誉れ高い、戦う女レディ・ガーター)
フランドルのエノー伯ギヨーム1世の娘。

父・エノー伯は、エドワード2世妃イザベル・オブ・フランスが夫エドワード2世に対しておこした反乱を支援。イザベルの息子・エドワード(のちのエドワード3世)と娘フィリッパを政略結婚(1328)させる。

花嫁の持参金目当てに結婚させられたふたりでしたが、終生夫婦仲はよく、エドワードが百年戦争で出征中の間は摂政を務め、1346年にはイングランド北部に侵入したスコットランド軍との戦いで軍を鼓舞しネヴィルズクロスの戦いを勝利に導き、翌47年にはカレー陥落時に市民の反抗に手を焼いたエドワード3世がその代償として市民6人を処刑を図るや嘆願して彼らを助命している。

ガーター騎士団が設立されると最初の女性受勲者となる。
石炭・羊毛産業の振興に尽力するなど内政でも王を支援した賢夫人。エドワードとの間にはエドワード黒太子ら7男5女をもうけ、誠実にして賢明な人柄に加え知性と教養の高い王妃として国民に人気があった。

彼女の死はエドワードには大変な痛手であったようで、その後は愛妾アリス=ペラーズを溺愛し政治を殆ど顧みなくなってしまったのである。




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2000年10月16日

エドワード3世

エドワード3世(1312-1377)

プランタジネット朝第7代イングランド王(在位:1327年 - 1377年)。
父はエドワード2世、母はフランス王フィリップ4世の娘イザベラ。
長男がエドワード黒太子。

歴代イングランド王の中でもキーパーソン。
何しろ、あの英仏百年戦争を起した張本人。
さらには、直接的には彼のせいではないかもしれないけれど
後々の王室の内戦、ばら戦争のルーツをたどれば・・・
このエドワード3世にたどりつく。

何せ在位が長い。50年!

1327年、父が母イザベルとその愛人で寵臣だったマーチ伯ロジャー・モーティマーに廃されたため、15歳で即位した。しかし若年のため、しばらくはこの両者による政治の壟断が行なわれた。

1330年3月、エドワードの叔父にあたるケント伯エドマンドがロジャーによって処刑された。国王に無断での処刑に怒ったエドワード3世は11月に宮廷革命を起こして母とロジャーを逮捕し、母は終身幽閉処分に、ロジャーは死刑にして実権を取り戻した。

国内の統治を安定化させると、親征に乗り出し、1333年にスコットランドを制圧。エドワード・ベイリャルを王に立てた。この戦いで敗北したデイヴィッド2世はフランスに逃げ、フィリップ6世に援助を求めている。

エドワード3世の成功は主に軍事による勝利に象徴されることが多いが、内政においてもフランドルの織物技術の導入から国内産業の充実、歩兵中心の常備軍や海軍の拡充、1348年にガーター騎士団を創設して教会に対する統制力も強化し、1366年に教皇庁との封建的主従関係を解消するなどしている。また王の軍費調達の要求を通して庶民院の力を強め、議会政治も発展していくなど、政治手腕も大いに発揮している。

1328年にカペー朝の跡を継ぎフランス王に即位したフィリップ6世に対して、エドワード3世はフランス王位継承を主張。母がカペー朝の王女だったことが理由であるが、これに対しフィリップ6世は、スコットランドと呼応して1337年5月にアキテーヌ領没収を宣言し、ガスコーニュに軍を進めたため、11月にエドワード3世はフランスに宣戦布告した。これにより、百年戦争が開始された。

1340年のスロイス沖海戦でフランス軍に勝利したのをはじめ、1346年にノルマンディーから上陸したイングランド軍は北上して、エドワード黒太子の活躍もあり、クレシーの戦いでフランス軍に大勝した。1356年にはポワティエの戦いでもフランス軍に勝利し、フランス王ジャン2世を捕虜にした。このようにフランスに対して優勢にあった1360年には両国の和議が成立し、エドワード3世はフランス王位継承権を放棄する代わりに、ガスコーニュ、アキテーヌ、カレー、ポンティウ、ギーヌなどの広大な領土を獲得するという自国圧倒的有利な条約を締結している。

またフランスと手を結んだスコットランドに対しても、1346年にネヴィルスクロスの戦いで勝利している。

1369年からフランス王シャルル5世の巻き返しが行なわれ、ペストの流行による国内の疲弊や兵力の減少もあって、カレー、ボルドー、バイヨンヌを除いたフランス領土を失う。エドワード黒太子も病に倒れてイングランド軍は有能な指揮官を欠いており、1375年のブリュージュ(ブルッヘ)の和議によってイングランド・フランスの戦争は、いったん終結するものの、前半期にフランスから奪い取った領土の大半を失うに至る。



家庭的にも不幸が相次ぎ、1369年に王妃フィリッパを失った。またエドワード3世自身、相次ぐ不幸と老齢からか若い頃の果断な指導力や決断力は全く見られず、実権を4男のランカスター公ジョン・オブ・ゴーントに奪われて精彩を欠いた。エドワード黒太子がフランスから帰国すると実権を取り戻して共同して国政改革に取り組んだものの、戦争による赤字財政や情勢の不利などから遅々として進まず、1376年にはエドワード黒太子を失ってしまうに至る。

このため、愛人のアリス・ペラーズを溺愛して政治への介入を招き、イングランド王室は混乱した。1377年6月21日、エドワード3世はシーン離宮で66歳で亡くなった。



エドワード3世

前半は政治・軍事の双方で多大な成功を挙げた賢王。
後半は若い頃の聡明さが嘘のように凡庸で、失政つづき。
エドワード黒太子を含め、5人もの息子がいたものの・・・
(それぞれコーンウォール公、クラレンス公、ヨーク公、ランカスター公、グロスター公)

長男エドワードには先立たれ、直系の孫であるエドワードの息子リチャード2世は、結局は四男ランカスター公の息子に王位を奪われる(餓死させられたらしい)。その後に続くばら戦争は、何のことはないエドワード3世の息子の子孫たち(ヨーク家、ランカスター家)の間で繰り広げられる内戦。
正統者は早々追いやられ、我に我にと正統性を主張し殺し合った揚句、
残ったのはエドワード3世とはほぼ何の関係もない
ランカスター家を名乗るヘンリー・チューダー。

ランカスター家と言うにはちょっと無理のあるヘンリー(何せ王妃の不義の子の息子・・・。要はの血なんてひいてない。あえて言えばフランス人王女なのでフランス王家の血?おばあちゃんは王妃で、おじいちゃんは衣装係?その名もチューダー!)。その彼が、なんと自らの正統性を主張?して、1485年ボズワースの戦いでヨーク家のリチャード3世を殺し、即位してヘンリー7世となる。(これがチューダー朝の始まり、プランタジネット朝の終わり。)

このヘンリー・チューダーはヘンリー5世の王妃キャサリン(若く美貌のフランス人王女)が、ウェールズ出身の衣装係とも納戸係とも言われるオーエン・チューダーと情を通じて生んだ子供の血をひく。フランス遠征中にわずか9年の在位期間で病没したヘンリー5世の後を継いで生後9ヶ月の乳児がヘンリー6世として即位。母親であるキャサリンはいつしかオーエン・チューダーと身分違いの恋に落ち、ひそかに三男一女をもうけた。事が露見してキャサリンは修道院に監禁されまもなく亡くなった。この2人の長男エドモンド・チューダーは異父兄ヘンリー6世のはからいで、莫大な資産を持つボウフォート家の跡取り娘マーガレット・ボウフォートと結婚する。このエドモンドとマーガレットの間に生まれた子供がリッチモンド公ヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世)。(つまりキャサリン王妃の孫)

ヘンリー・チューダーの母マーガレットは、エドワード3世の四男ジョン・オブ・ゴーントの血を引いているので彼もランカスター家の一員である。って確かにそうとも言えるけど・・・ボウフォート家は王位継承権はないはず。

リチャード3世の死後、彼の長兄エドワード4世(ヨーク家)の娘エリザベスを妻に迎えたことで、ランカスター・ヨーク両家の血をひとつに結び付けることとなった。って、なんか無理やりのこじつけだわ・・・で結局、血がひとつになっても正統のプランタジネットに戻るには無理がありすぎで、チューダーなのでした。
チューダー朝の始まり。

なんとも皮肉で悲惨なエドワード3世の血筋・・・でした。






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