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2006年03月14日

十字軍遠征の時代(11〜13世紀)

十字軍というのは、キリスト教の聖地であるエルサレムをイスラム世界の支配から取り戻そうとヨーロッパをあげて戦った遠征軍のこと。教皇が王侯・貴族・僧侶に宣言し、ヨーロッパ諸国の王が自らの騎士を率いてエルサレムを目指した。胸に十字の徽章をつけて参加したため『十字軍』という。1096年からの200年間に7回(8回とも)遠征が行なわれたが、聖地奪回に失敗して終わる。

騎士たちが愛と栄誉のため、忠誠と正義をかけて戦ったというだけあって、もっともドラマチックな時代でもあり、ハーレクインのみならず、さまざまな文学作品の舞台となっている。ヒストリカルの作品の中にも歴史上の王や出来事が実際に登場するので、フィクションでありながらもなんとなくリアルで、おはなしに深みが出て面白い。









第1回(1096〜99)
フランス・ノルマンの騎士を中心に約3万人が参加。エルサレムを占領してエルサレム王国を建設。巡礼者を含めると10万人ともいわれ、数々の騎士団が誕生するなど最大規模にして、唯一華々しい成果を挙げた遠征。

第2回(1147〜49)
エルサレム王国の援護のためドイツとフランスが中心となって出兵したが、途中で挫折。

第3回(1189〜92)
1187年、イスラム君主サラディンがエルサレムを占領したため、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(ドイツ赤ひげ王)・リチャード1世(イギリス獅子王)・フィリップ2世(フランス尊厳王)らが総出で参加するもエルサレム奪還には失敗。アッコンの戦いが有名。

HS-37『剣と竪琴』

第4回(1202〜04)
本来の目的を外れ、ヴェネチア商人主導でコンスタンチノープルにラテン帝国が建設。

第5回(1217-21)
エジプトを攻め、エルサレムを奪還しようとするが失敗。

第6回(1228-29)

第7回(1248〜54)
フランス王ルイ9世中心に遠征するが逆に捕虜となってしまう。

第8回(1270)
フランス王ルイ9世が再度計画するが途中で王が病没。

テンプル騎士団の謎
テンプル騎士団の謎
レジーヌ ペルヌー R´egine Pernoud 南条 郁子

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第三回十字軍(12世紀)&リチャード1世

第三回十字軍(1189〜92)

1187年、イスラム君主サラディンがエルサレムを占領したため、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(ドイツ赤ひげ王)・リチャード1世(イギリス獅子王)・フィリップ2世(フランス尊厳王)らが総出で参加した十字軍遠征。

十字軍というと、この『獅子王リチャード』の名前が真っ先に出てくる勇猛果敢な伝説的存在。リチャードは戴冠式後まもなく十字軍に出発。1191年、エルサレム北のアッコンへの攻撃で、イスラム君主サラディン率いるサラセン軍を破り、エルサレムまで迫る。

しかし留守中に弟ジョンが王位を奪おうとしたため、サラディンとの激戦は勝負がつかず、やむなく休戦条約を結び帰国の途につく。この途中オーストリア公の部下に捕えられ、幽閉の身に。さらに神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ6世の捕虜となり、莫大な身代金を要求されるなど、ようやくロンドンに戻れたのは、1194年だった。

リチャード王というと、腹黒い弟のジョン王との対比、『アイバンホー』のイメージで正義に溢れた強い王という感じがするが、実は他のヨーロッパ諸国の王との確執、軍事費の負担の増加、また、アッコンを占領した際には、多くのサラセン人を捕虜にし、大量に処刑するなど悪評も高い。

在位期間のほとんどを戦いに明け暮れ、結局1199年には戦死、王位は弟ジョン王へ。十字軍の遠征で悪化していたフランス王フィリップ2世との関係は、決定的対立へ。結局ノルマンディーの領土を失ってしまう。(ジョン失地王と呼ばれる所以)

HS-37『剣と竪琴―戦士に愛を
剣と竪琴―戦士に愛を

ノルマン人貴族の娘だというヒロイン、ロアンナ。ヒーローのエムリスはノルマンの血を引くウェールズ人。第三回十字軍に参加するも、アッコンの戦いで傷つき、戦地に置き去りにされてしまう。アッコンでの捕虜の処刑、サラディンについても触れている。
「リチャード1世は戦術には長けているが、愚かな男だ。」

ウェールズという特殊な土地柄、ノルマン人への複雑な思い、イングランドの王に対する葛藤、歴史的背景がわかって読むと、なお面白いです。



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アイバンホー

時は12世紀末のイングランド。十字軍に遠征したまま国王リチャードは戻らず、ジョンの圧政に苦しむ人々。そこに登場するのがサクソン人の若き騎士アイバンホー。

Ivanhoe (1982) / TV Movie


私がはじめて『アイバンホー』に出会ったのは小学生のころ・・・テレビのなかでした。ハンサムで勇敢なアイバンホーと美しいロウェーナ姫との恋。謎の黒衣の騎士や義賊ロビンフッドまで登場。アイバンホーにひそかに恋心を抱く美女レべッカの切ない恋もよかったな〜。

日に焼けた顔に短い金髪、青い瞳の25歳の青年騎士アイバンホー。とにかくテレビの中のアイバンホーはかっこよかった・・・(↑う〜ん、このビデオと同じものなのかな〜??レべッカ役はオリビア・ハッセーですが、なんか全然違ったような気が・・・。自ら身を引くレベッカの姿にロウェーナ姫以上に惹かれました。)

サクソン人とノルマン人の対立、獅子王リチャードとジョンの確執、十字軍、幽閉のリチャード王&王の不在という史実。テンプル騎士団、中世の魔女裁判に、ユダヤ人の存在・・・実話をベースにロビン・フッドまで登場。レベッカに恋してしまう敵役のテンプル騎士団の騎士ギルべールもなかなか・・・よい。美男美女にロマンスと冒険、正義と忠誠心と・・・あらゆるものが巧みに組み合わされていて、もう最高!!でした。


原題 Ivanhoe
監督 スチュアート・オーム
出演 スティーヴン・ウェデントン、スーザン・リンチ、シアラン・ハインズ、ジェームズ・コスモ、ヴィクトリア・スマーフィット、クリストファー・リー
製作 BBC Worldwide Ltd./1997
データ カラー/301分/日本語字幕

こちらはイギリスBBCが1997年に製作した5時間もののテレビドラマのDVD。
二千人以上のエキストラ、古城やスコットランドにロケした超大スペクタクル作品。
イギリスでは『アイバンホー』は国民的人気といいますが、
わかるわかる・・・日本ではマイナーなのが残念です。

こちらも『アイバンホー』ものです
6301969391Ivanhoe (1952)
Robert Taylor Elizabeth Taylor Joan Fontaine
Warner Studios 1999-09-22

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6304441657Ivanhoe
Stuart Orme
A & E Entertainment 1997-05-13

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B00004WI6EYoung Ivanhoe / TV Movie
2000-10-17

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もっと詳しいストーリー&感想・解説 ネタバレ


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2000年10月18日

エドワード1世(1239 - 1307):英王室屈指の名君

エドワード1世(1239 - 1307)

プランタジネット朝第5代イングランド王(在位1272年 - 1307年)。
ヘンリー3世の長男。ということは、あのジョン失地王の孫なのですが、
これがこれがおじいちゃまと違って、賢王の誉れ高い
イングランド史上屈指の名君。
おまけに190pはあるという長身の美丈夫。渾名は「長足王」。

意思強固にして、武勇に優れ、政策に妙をきわめ、
計略と搾取に秀でたエドワード1世。

時代も時代、その一生は隣国との争いに明け暮れる毎日。
2度の結婚生活ともに戦いのための政略結婚でしたが、
研根生活はどちらも妻を愛し非常に幸福なものだったといいます。
なんて理想のヒーロー。

ちなみに2度目の妃とは年の差43歳!!
エドワード1世60歳、マーガレット王妃17歳・・・というからびっくり。



若きは父を助け、国政の実権を掌握。父王が死去した時は第8回十字軍に
遠征中でイングランドを不在にしていたのですが、諸侯からの覚えも良く
国王に。1273年に帰国して、土地保有制度改革や教会裁判権の抑制などの諸政策を次々と打ち出し、保守派と改革派の融和を図って国内を安定させます。

そして次の、エドワードの最大の関心事は、
ヘンリー3世以来イングランドへの服従を拒み不穏な情勢にあったウェールズとスコットランドの平定でした。

まず1277年、ウェールズの支配者ルウェリン・アプ・グリフィズを打ち破り、

1290年にはスコットランドの王位継承権争いに介入、スコットランド王を臣従。

さらに1294年にはガスコーニュ地方をめぐってフランスとの戦争を開始。
以後10年間に渡ってフランスやその同盟国であったスコットランドとの抗争が続きます。

ちなみにフランスとの戦いの戦費調達のために召集した議会は、今日の議会制の基礎となるもので模範議会と呼ばれている。

1303年にフランスと講和するとスコットランドに再度遠征。
1307年、3度目のスコットランド遠征の途上に病死。



英国王室史上最も王に愛された王妃たち、
英国王室史上最も王を愛した王妃たち


エリナー・オブ・カスティル(1241 - 1290)
カステリヤ(スペイン)国王フェルナンド3世の娘。
カステリヤ&イングランド両国 にとってフランスを牽制するための政略結婚(1254)。
このときエドワードは15歳、エリナーは10歳!(といっても当時子供の政略結婚はよくあった話で、
実質の夫婦になるのはもっと後のはなし。エリナーは20歳で初めての子を生んでいます。)
政略結婚にもかかわらず、16人の子供を産むほど仲睦ましい夫妻。1270年の十字軍遠征をはじめ、戦いに明け暮れる夫に寄り添い、エリナーはたびたび遠征に同行します。夫がアサシンの毒塗りの剣で重傷を負った時は自ら毒を吸い出し献身的に看病しました。王妃としての彼女は慈悲深く貞節な女性として国民から深く敬愛されました。最後はスコットランドへの遠征の途中で病に倒れます(49歳)。エドワードはその死を深く嘆き、今に残るエリナークロスを各地に建立したことでも有名です。16人の子供のうち成人したのは6人だけ。男子は末っ子のエドワード2世のみ。

Daughter (1255)
Katherine(1261/63-1264)
Joan (1265)
John (1266-1271)
Henry (1268-1274)
Eleanor (1269-1298)
Daughter (1271)
Joan (1272-1307)
Alphonso (1273-1284)
Margaret (1275-1333)
Berengaria (1276-1278)
Daughter (1278)
Mary (1279-1332)
Son (1280/81)
Elizabeth (1282-1316)
Edward (1284-1327)



マーガレット・オブ・フランス(1282 - 1317)
フランス王フィリップ3世とマリア・ド・ブラバンの娘
1290年に愛する妻エリナーを失ったエドワードはその後もスコットランドやフランスとの戦いに没頭します。そしてスコットランドとの戦いに集中するためにフランスと休戦協定を結ぼうと考え出した政略結婚がフランス王の娘との年の差44歳婚(1299)。

しかし、しかし、この年齢差のあるまったく不釣り合いに見える二人、
なんとラブラブカップル。
手に入れた妻を「高価な真珠(何物にも代えられない貴重な人)」だと大切にしたとか。
実際この若い妻、大変できた女性で、王の怒りを諭し臣下にも慕われた
慈愛に満ちた心やさしい女性ということで、愛されるヒロイン度★★★。
3人の子供にも恵まれ、何と3人目の王女にはエドワードの最初の妃の名前、エリナーを
選んだといいます。なんと事実は小説よりも・・・ですね。

26歳でエドワードを亡くしたマーガレットですが、母国フランスへは帰らず
「王の死は私に全ての死をもたらした」と言って
イングランドに残り10年後に亡くなりました。

成人した息子たち、長男トマスは現在も続くイングランド筆頭公爵ノーフォーク公爵家の先祖の1人、次男エドマンドはケント伯爵となり、その娘ジョアンはエドワード黒太子の妃にという、まさにハーレクイン顔負けのお話です。


さて、最後の最後に

これだけ申し分のない名君エドワード1世の痛恨の一敗、
これがあまりにひどい、一敗というにはひどすぎるのが

ダメ息子の存在 

これがのちに史上一番の愚王といわれるエドワード2世なんです。

エドワードとエリナー妃の実の息子とは思えない・・・
歴史は非情なり。

もっと詳しくはエドワード2世





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