十字軍の活躍で有名な獅子王リチャードの母にして、結婚によってイングランドに広大なフランス・アキテーヌ領をもたらしたフランス人イングランド王妃エレアノール。アキテーヌのエレアノールということで、フランスではアリエノール・ダキテーヌと呼ばれています。
ワインの街、ボルドーを中心としたフランス南西部に位置するアキテーヌ地方。アリエノールは領主アキテーヌ候の長女に生まれました。12世紀のアキテーヌはフランス王国よりも広大な土地と豊かな財力を誇る国でした。当時のフランスは女性でも領地の継承権があり、美貌と才知を誇るアリエノールは若くして広大な領地の相続人となりました。
そして14歳でフランス王子ルイと結婚(1137)したアリエノール。直後にフランス王ルイ7世となった夫はおとなしい性格。一方、「フランスの薔薇」とうたわれた華やかな女性アリエノールは僧侶のような夫ルイとはそりがあわず結婚生活15年にして離婚。
で・・・その少し前、ノルマンディ公になったばかりでフランス王に臣下としての挨拶にきた美少年アンジュー伯アンリ(のちのヘンリー2世)に一目ぼれ。ルイと離婚後2ヵ月でなんとアンリと再婚(1152)。その時30歳のアリエノールにたいしてアンリは19歳でした。
アンジュー伯というのはフランス王家(カペー朝)の流れを汲む貴族。もちろんフランス人ですが、母親がイングランド王ヘンリー1世の娘マティルダであったことから、その後イングランドの王位継承存を得てイングランドに乗り込み、ヘンリー2世としてプランタジネット朝をおこします。こうして相続地アンジューとアリエノールの所領アキテーヌも含める一大領土を手にすることになったのです。といっても一応はフランス王の臣下であることには変わりなく、臣下に妻と領地を盗られたルイ7世の気持ちはいかばかりか・・・と。
こうしてフランス王妃からイングランド王妃となったエレアノール(アリエノール)は、ルイ7世との間に2女、ヘンリー2世との間に5男3女をもうけます。息子はウィリアム(早世)、若ヘンリー、後の獅子王リチャード、ジェフリー、後のジョン王の5人です。このほか夫の庶子で後のヨーク大司教となったジェフリーも育てます(実子と同名でややこしい)。
ここからが史実はフィクションよりも面白い!!
子宝にも恵まれ、愛するヘンリーとラブラブと思いきや、そこはハーレクインのようにいかないのが現実。ヘンリーの浮気にはじまり、このあと父子、兄弟を巻き込んだ争い、不幸の連鎖が続いていくのです。
ヘンリー2世は若ヘンリーを跡継ぎにし、リチャードにはアキテーヌ、ジェフリーにブルターニュを名目上分配します。(末子のジョンには領土が残っていなかったため欠地王が後世あだ名となった。)
しかし、末っ子ジョンが生まれた後、夫婦仲の悪化は決定的となり、息子リチャードを連れてエレアノールはアキテーヌに戻ってしまいます(1168頃)。これだけならまだしも、決定的だったのは息子たちの離反。1173年に若ヘンリーが領土の実権を求めて反乱。エレアノールもこれに加担した罪で夫に監禁されてしまいます。監禁生活はなんと15年以上におよびます。その後、領土をめぐり兄弟間、父子間での争いが続くも、1183年に若ヘンリーが病死。1186年にはジェフリーも落馬が原因で死亡。
後継者となったリチャードは、あろうことかフランス王のフィリップ2世に臣従して、末っ子ジョンを偏愛する父王ヘンリー2世に対し反乱を起こすのです。ヘンリーは失意のうちにまもなく病死。こうしてエレアノールの息子リチャードは1189年にリチャード1世としてイングランド王に即位します。愛息のおかげでエリアノールもようやく監禁生活から自由になります(67歳)。
で・・・ここで注目!
こうした一連の不和と内紛を裏で画策したのがエリアノールの前夫の子、いまやフランス王となったフィリップ2世です。前夫ルイ7世と後妻アデール・ドゥ・シャンパーニュとの間の息子。このフィリップ、おとなしかった父王と違って、若いころから非常に聡明なうえ、行動派、策士で有名。後にフランス最初の偉大な王と評価され尊厳王と呼ばれるくらいです。
そのフィリップ、まずはリチャードと親しくなって、父王ルイの恋敵?ヘンリー2世を死に追い込みます。この後リチャード1世と第3次十字軍を共に戦ったりもしますが、実力者のリチャードとは当然決裂。アッコン占領を機に帰国、今度は神聖ローマ皇帝やオーストリア公と組して強敵となったリチャード1世を幽閉。無能なジョンをイングランド王に擁立してイングランドの混乱を画策します。
囚われたリチャードの身代金集めに奔走したのが72歳になったエレアノール。国を留守にしているリチャードに代わってイングランドの守りを固め、幽閉されるとみずから船に乗り交渉に出かけ、無事息子を解放させたといいます。
その後もリチャードはフィリップ2世と争い、フランス各地を転戦。在位10年、1199年に戦死してしまいます。結局、暗愚なジョン王を相手に、フィリップ2世はアキテーヌ領を含めたフランスにあるイングランド領土の大部分を回収することに成功します。離婚した前夫の息子に、実の息子に譲った領地を奪われてしまうことになるのです。
兄王リチャードがノルマンディ防衛の拠点としてフランス北部、レザンドリの街を見下ろす山の上に築いたガイヤール城。ここがジョンとフィリップの最後の対決の舞台となります。1204年3月、ガイヤール城はあっけなくフィリップ2世の手に。翌月エレアノールは死去。83歳。
さて、ここまでエレアノールの息子について書いてきましたが、
3人の娘のほうもご紹介。実はそれぞれ蒼蒼たるお家に嫁がせています。
長女マティルダはバイエルン公ハインリヒ、次女で自分と同名のアリエノールはカスティリア国王、アルフォンソ8世のもとに、三女ジョアンの最初の夫はグリエルモ2世(シチリア国王)、2番目の夫はフランス人貴族レイモン6世(トゥールーズ伯)。
なかでも次女アリエノールの子供たちはヨーロッパ諸国の王、王妃として歴史にその名を残しています。特に、エレアノールにとっては孫娘にあたるブランシュ・ド・カスティーユ。彼女はエレアノールの画策で、なんとフランス王家、あのフィリップ2世の息子ルイ8世の王妃となります。宿命の前夫ルイ7世にとって、ルイ8世は孫・・・複雑極まりない・・・
ブランシュ・ド・カスティーユはやがて幼いルイ9世の王母となり摂政を務め、ルイ9世は国民の信頼厚い『聖王』としてフランス王家の権威を築き上げる名君となるのです。結局のところ、フィリップ2世によって奪われたアキテーヌ領も、エレアノールの孫の代になって再び自らの血を受継ぐものへと受継がれていくことになったわけです。
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